プロフィール

よどねえ

Author:よどねえ
FC2ブログへようこそ!


最新記事


最新コメント


最新トラックバック


月別アーカイブ


カテゴリ


ブロとも一覧


上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
母は私が27歳の時になくなった。

父と同じ膵臓がんで。

当時の医療は今ほど進んでなくて見ていても痛々しい治療やった。

病院食が食べたくないというので母の好きなお寿司を食べに行こうと病院近くのお店にいったけど食べられたのは巻き寿司2つだけ。

ここの病院では満足な治療が受けられないと思う、だから転院した。

当時3歳と3ヶ月の次女を連れて実家に居る事を許してくれたのは夫だった。

父は母に付き添い、私は祖母と子供2人で実家にいた。

そして病院まで行き、母を見舞う日々。

今でも感謝してる、有難う!夫。

10月に年内持たないといわれた母の生きる気力はすごかった。

癌とは知らせてなかったので「由香ちゃん(長女)がランドセル背負うまでがんばる」と言っていた。

夫は年があけるとドイツに出張がきまる、どうしよう、、、夫が居ない間に。。。と不安ばかり募った。

でも2月まで母は頑張ってくれた。

いつもならいっぱいおっぱい飲んで手のかからない次女がその日に限ってグズる。

長い間の病院通いで近くの病室の人からも親切にしてもらった。


大きな息を吐いた母は二度と息を吸うことがなかった。。。


まるでドラマみたいだと思った。TVじゃ、最後に何か喋ってくれるじゃん、目を閉じたままやん。手はまだあったかいやん。

おまけに母が亡くなる数日前に発熱した長女が、はしかから肺炎になっていたことが葬儀の後、判明。

敦賀の病院に入院の準備をしてもらい、そのまま入院。

本当は涙がかれる程泣きたいのにそういうわけにもいかない。


何でこんな目にあうのと悲しかった。
スポンサーサイト

育児編。

3歳違いの娘達、はぁ、大変やった!

女ばかりなので面倒はよく見てくれたな。

長女は口が達者、次女は自然と我慢を覚えてしまう、三女は好きし放題って所かしら?

長女は合唱部、ソプラノで発表会を聞きに行っても娘の声ってわかるもんね。不思議!

次女、三女共に陸上部。

北信越大会はそれぞれ応援にいった。

三女は私達親が一生懸命応援してるのを見て自分もそうしてもらいたいという念願もあったんだって。

次女は富山まで、三女の時は新潟まで。。

全国大会は広島(><)


でも行った、親ばかよねぇ。


自分は勉強嫌いだったのに娘には勉強しなさいって言ったなぁ。

たぶん私みたいになってほしくなかったからよ。
時はバブルだったので仕事も超忙しい。

残業当たり前。

私は電車通勤やったから残業すると20時すぎの電車にのり家についてご飯食べてお風呂に入るとあっという間に22時。

朝は7時すぎの電車だし、よく寝ないと疲れも取れない。

未だに早く寝ないと疲れがとれないとボヤくのはこの時の癖が抜けてない!?たまに私が遅くまで起きてると

「お母さん、どうしたの?」と家族に言われる。

3年ほど付き合った時に夫に社外留学の話が持ち上がった。

本社にいって技能を身につける、全国から集められた人間が国家資格をとるべく勉強、実習。

今までは定時や休みには自由にあえていたけど、それがなくなる。


休みには敦賀にもどってきてくれたけど寂しかったわね。

社外留学の前に親には「結婚させてください」と話をしてくれ結婚する一年前に結納。

そして戻ってきた年に結婚。


そして今27歳の長女を授かる。それから25,21歳の娘。

男の子ほしくて3人目を頑張ったけど無理だったわ。

研究したんやけどね。でも元気な子で生まれてくれたから恩の字です。
しばらくはいつも遠い所から見てるだけ。

気持ちを伝えたいとかは思わなかった、だって自分に自信なんてなかったから。

他にも夫の事が好きなんだって言う人もいて、だから余計。

一緒に入社した友達はしばらくして年下の男の子と付き合い始める。

その頃は地元の青年団に入っていたからそっちの活動があったりして。

そうや、その頃同じ青年団の人の親がいきなり家に来たんだったっけ。

嫁にくれと。なんで?私。その人、全然そんなそぶりないけどぉ?

自分で言ってこれんのかぁ?もちろんボツ。

だって心の中は伝えられなかったけど、心の中に好きな人いたもん。

友達のはからいで友達カップルと私と夫でドライブに行くことになる。


どきどき、ドキドキ、もうー心臓破裂しそう。

友達が一緒に選んでくれたブラウス着て、黒のスカート。

初めて近くで見た横顔。かっこよかったなぁ(魔法にかけられていたんでしょうか)

嬉しい一日はすぐ終わる。

何日かして友達の彼が夫の気持ちを聞いてくれる。

芳しい話ではなくて、私はその日食堂にもいけなかった、夫のいる場所の近くのトイレも行けない。

友達がジュース買ってきてくれて二人で職場にいた。ありがとう!友よ。


お互いいつも一番辛い時にはそばにいたよね、だから今でも友達なんだ。ゆきえはね。。(^^)

母にはこの話はしてなかったので「体よく断わられちゃったぁ」と凄く落ち込んで話した。


「けーこちゃん、男は星の数ほど居るんやでぇ、その人だけが男じゃないんやから落ち込んだらあかんで」と慰めてくれた。

そしたら家電がなって、、、まさかまさかの夫から(なんで?意味わからん)


僕で良かったら・・・うそーーーっ。

も、も、も、もち、もち、もちろんでございます。

電話切ったら、ドラマのような展開に母も一緒に喜ぶ。


よく知りもせず断わるのはよくないと思ったと後から聞いたけど、本当だったのかな?


ということでお付き合いがはじまり、はじまり~~。
私が高校生の頃はまさにバブルに入る前。
求人はたくさん!

最初は実家から3つ先の駅までの所、社バスが出ていた。
もちろん大卒の人もいたから結構和気藹々と仲のいい同期だった。

いいなぁ。。。と思う人が出来ても自分では言い出せないタイプ。

そして相手が気付いて誘ってくれる頃にはこっちはすっかり冷めてるタイプの私。

中学から仲の良かった友達が〇〇電器が社員募ってるんだけど一緒に受けない?と連絡あり。

入って半年の会社を辞めると多分学校の体裁も悪かっただろうけど、絶対落っこちると思いながら面接試験を受ける。

それがまさか、まさかで通ってしまった。

退職願と作業服と作業服のクリーニング代を置いて退職。

今更ながらよくやったわ、、常識知らず。


自分にとっては小さい頃から年に一回だけ海に泳ぎに来た街。

まさかここが将来定住する街だとも知らずに働きはじめたんだねぇ。


今はすっかり叔母ちゃん体型の私も当時はいたって普通の体型で(笑)

なんでかその時だけはモテ期だったんだと思う。

一時期に4人から交際を申し込まれたけどお断り。


入ってしばらくして現場見学をした時に名前も知らないけど、笑顔が素敵で笑った時に歯がきれいに見えた人がいたんだぁ。。。


それが夫だったんだね。
高校は女子高でめちゃ校則の厳しい所。

家からは遠いし定期代もたかっただろな。。今更ながらごめんね、父母様。

男女交際禁止(なんで?)

女子校だから礼儀作法の授業があったり(やたらこの先生が男性はどれだけ危険かを訴えてた)

余り得意ではなかったけど家政科だったため、服や着物を作る(おかげでチクチク裁縫は好きになった)

女子校だから新卒の先生は凄くモテる・・・がいい気になってると速攻、嫌われる(笑)


男女交際禁止なのに友達の紹介で一つ年上の人と高3で付き合う。

友達は結構ススンでる子だったけど、私はそういうのは嫌だったなぁ。


学校の教えか、親の教えか

車で迎えに来てもらったこともあるし夜に家の近くまで来て話をしたこともあったけど、元々好みでもなかったんだろうね。

その人の家に遊びに行くことになり「家に家族がいるから」という言葉を鵜呑みにして行ったんだ。


所が行ったら誰もいないやん、いや猫はいたけど人間がおらんやん!


ウブだった私はこの男は信用できんと思った。

嫌いではないけど先々付き合いたいとは思わないと友達を通じて伝えてもらい、エンド。


その後、電車をおりて歩いてると男の車が何度か通り過ぎては又戻ってくる。


きもーい!尚嫌になった。

高校を卒業して社会人になってからも又、電話あり。友達を通じて。そんなもん自分で言ってこいや~~。

元々嫌だからお断り。

その男、近場の女の子と付き合って授かり婚。それも自分の友達が捨てた女の子と。

きっと運命だったのよ、その子とね。

中学に入るとバレー部へ。

ちょうどその時はサインはVとかアタックNO,1とか流行っていたんだよね。

でも身長は147cm。入部した人数も多くて先輩たちも厳しかったなぁ。

相変わらず勉強嫌い(笑)


英語、なんでこんなん習わんといかんのぉ?

でも最初の中間試験で双子の姉と20点くらい差がついた。

悔しくて、悲しくて。家に帰ってから父にまず筆記体のキレイな書き方から教えてもらう。

カーペンターズが人気あったころで辞書で調べて和訳した。。楽しいじゃないの!


私が英語を好きになったのはカーペンターズのおかげ。中学を出る頃には身長も伸びて158cmになる。

高校は私立だったから、国、数、英の科目の試験やったけどたぶん国、英で受かったんじゃないの、絶対そうだわ!

女子高で校則めちゃ厳しくて自分の子はここに入れまいと思った。


双子で高校もおなじ。当時でも学費は高かったよね、いまさらながら両親に感謝。
幼稚園の年長になると母から毎日ひらがなを書く練習をさせられた。
女の子は字がきれいな方がいい、それと私の左利きを直す為。


双子の場合、大体どちらかが左利きになる、お腹に居る時の位置によるみたい。

字と箸はなおった、いやなおされた、持ってる鉛筆や箸を落とすほどの力で手の甲をたたかれる。

でも包丁やトンカチ、など。。力を入れたりするものは未だに左利き。


小学校に入ると嫌な嫌なお勉強。嫌いだったなぁ、なんで勉強しないといけないんだろうと思ったもん。

45歳でPCなどの勉強をした時、こんなに時間を上手く使えば勉強はできるんだなぁとか予習、復習が楽しく感じた。
35年前にわかっていたらよかったのにねぇ。

私の行っていた学校は1クラス27人しかいなくて例えば町の小学校集まっての連合記録会なんかになると全員参加。

それもどれかに秀でた3人が選ばれるというもの。

その中に私と姉が高飛びに選ばれた。姉は足も速かったのでリレーも。


少ししか練習してないのに、記録会ではいい成績を残して、担任の先生は大喜び。

従姉妹の子に聞いたら、担任を持つ度に私達のクラスの事を話していたみたい。

小学校の卒業が近づいてきた頃、ある男子からキーホルダーをもらった。どこかへ行った時のお土産だったかな?
好きとかというのではなくて、なんとなく気が合う男子だったんだけど、嬉しくて中学になったらJRで一駅先まで行かなくてはいけなかったから、前持って母が買ってくれていた定期入れにつけなきゃ!と思うんだけど、穴を開けるのがない。


そこで目についたのが母が裁縫につかっていた裁ちばさみ。

よーく切れる奴。

力入れすぎて右手の人差し指にグッサリと。

血が止まらなくて、傷は怖くて見れなくて。


心臓がもう一個そこにあるみたいな痛み。何とか包帯をしてかくしていたけど、、、


学校で誰かとすれ違いざまに手が当たった途端、血がとまらなくなった。


翌日母と病院へ。

なんと爪の下から2cmほど骨が見えるくらいにえぐれていたんだって(ひゃー!!)


しっかりと縫われて今でもその傷は残ってるわ。

うぶだったのか、相当な馬鹿よね。
でも。。書いてみようかな?

1958年10月6日生まれ。

結婚して4年間コウノトリさんが来るのを待ちに待った両親から双子の妹としてこの世に生まれてきた。

母は産むまで双子とはしらされてなかったらしい(でもお腹が異常に大きいはず!?)

凄い怖がりの母できっと双子と知ったらショックを受けると父は思ったそう。


2500gの未熟児でうまれるも、近所の人から小さい、小さいと言われていたので沢山ミルクを与えてもらったんだろう。一歳になる頃は健康優良児で表彰状と一緒に写ってる。

小さい時からなぜか柿が大好きで秋になると親の目を盗んでは柿を食べる。


近所の柿の木はどこが甘柿でどこが渋柿か把握している子。

嫌いな栗の木は見向きもしない。

柿のせいかなんのせいか幼稚園で腸をこわしたらしく入院。それも1人で(泣)

祖父母は家の事や田畑をしてるし、両親は働いてる。隣の病室に一つ下の同じ町の子がいてその子と合間は遊んでいた記憶がある。

看護婦さんや親に「あそこの廊下から先は絶対行っちゃだめだよ」という所があり、行っちゃだめと言われると行きたいのが子供。

息を殺してソローり、ソローりと向かう所を看護婦さんに確保された。


後で聞いたらそこは結核病棟(昔は治らない人が多かったんだよね)

大きな点滴を毎日打たれ嫌だったなぁ。


一つだけとても嬉しかった思い出はもう寝ようとしていた頃病室の窓ガラスを外からたたく人がいてこわごわ覗いたら父だった。

仕事の帰り、一つ先の駅で降りて病院に来たものの、玄関は閉まっていたみたい。

靴を脱いで窓から入ってくる父は若くて頼もしく見えたなぁ。
キャンプ病というのは。


とにかくまったりしたい。

時間を気にしないでいたい。

食べたいものは食べたい時に食べる。遅くに食べることはしないが好きな物を少量だけ。


これを引きずったままだから夕飯のメニューも決まらん。

どうしよー!アセアセ

明日からは二週間ぶりの仕事だっていうのに。


嫌だよ~~お弁当も作りたくないよ~~。
二泊三日のキャンプから昨日戻りました。

いやはや疲れたけどやはり楽しかった。

設営、片付けもちろん大変。でもそれを上回る楽しさがアウトドアにはあると思う。

人間って匂いとか嗅覚って動物よりは悪いと思ってるんだけど、たぶんキャンプに関してはそれは倍になりその時の匂いとか風の匂いとか覚えるんだろうなと思う。


今回は雷雨に見舞われ夫は寝ずの番をしてくれ、その横で熟睡する私。

翌日はバンガローへお引越し。快適、快適。だってTVもエアコンもついてる。


超自然児、いや野生の夫にとってはバンガローはなぁ・・・といっていたけど。。


近くにあるシーオンという施設でプールに入って。夫に引きずってもらい(笑)楽チン。楽チン。


やっぱりいいわぁ!また行きたくなってきた。
それは親戚大集合の日。

大体料理も出し終えた後、娘が「ほら」と顔に粉をパタパタと。

結婚式の時に少々高いけど一日崩れない魔法の粉を購入したという。

私もお昼からお化粧していたけどこの暑さで崩れるもんね(もとから!?)


そしたらば、そのお粉様。実にいい仕事をします、いや、してくださいます。


崩れない!本当に崩れない!おまけに光を集めるというかそれが実に自然で毛穴も目立たない。



ほしー!欲しいー!本当に欲しいー!


ねっ!ねっ!いくらなの?

コンパクト付きで15000円~~どっひゃ~~。


中身だけでも10000円だって。


あー、ほしい!一万円で1年持つよ、だってうっすらーとはたくだけでいいんだもん。


これを安いと見るか高いと見るか。。。


父ちゃん、買うてくれー。
昨日は毎年恒例のお盆親戚大集合の日。

いつもが4人家族なのに12名になると量をどれだけ作っていいかわからないのよね。

でも昨年みたいに大量に残ることもなくお持ち帰り分もあったし、よしとするか!

この時期はほんまに長男んちは大変やと思う事。

嫁いだ2人の娘が「お母さん、ほんまに大変そう」と気持ちをわかってくれただけで満足やわ。

夫は珍しくお酒ちゃんぽんで結構飲んでたんじゃない?
ソファーで熟睡してるし起こしてもおきないし、私はしっかりと3Fで寝ました。

でも昨日の疲れは半端ないのでまた寝たい気分。
私達夫婦は一緒にお風呂入る。

私は早く寝たい女なのでお風呂の中で聞いて欲しい愚痴とか一日あったこととか私が一方的に聞いてもらってるかんじ。

次々と聞いてほしいので主語なしで次の話になるもんだから夫は頭の整理大変。

私が湯船に浸かった時点で大きな蚊発見。

「お父さん、蚊!!」そう言って私思い切り肩まで浸かる。

夫、湯船の端っこに立ちパン!!逃がす。。。


私今度は顔を覆う。

さがし続ける事しばし。。。夫、蚊をしとめる。


「自分さえ刺されんかったらいいんかぁ?」


ハイ。
いつもこの時期(月初め)開放感に包まれてる。

仕事とはいえ請求書〆の時期は本当に憂鬱になる。

特に調理のS業者、毎回計算違ってるちゅーの。

計算間違ってるうえに納品書と請求書の金額、何度も修正テープが。


あー、いらつく。どうも私は独り言を言い、怒ってる顔してるか困ってるそうだ。。



明日から二週間お休み。

年収押さえるためや仕方なし。


お父さん、おんぶに抱っこおねがいしまーす!
今年は本当に早く感じる。。月日が過ぎるのが・・・

4月までは長女の結婚式の事もありなんとなく慌しかったし。

5月に入ったら冠婚も増えて仕事が忙しい。

6月は最高潮に忙しくてあっという間の一ヶ月だった。


夫の夏やすみ、決定!13~21日まで。

キャンプと旅行と企画していたけど一つしかいけそうにないかも?


でも8月はバーンと休む計画なので。。


ふふっ!楽しみ。

 | ホーム | 


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。